“カラザース・ギター”とは?


 クラシカルな感触とビンテージの豊潤な味わい。それはギターの一方の理想とも呼べるでしょう。そして今、実戦用のカラザース・ギターの登場です。その細部にわたって投入された細心のエネルギーは、見せかけだけのショー モデルではない事を実感させてくれるでしょう。幾多のスタジオ、そしてライブパフォーマンスで百戦錬磨のカラザース・ギターはタフで項丈、そして最後までその安定性を失う事はありまん。それはどんな環境、そして過酷なツアーにおいても、コンスタントなコンディションで生き残れるようにデザインされているからです。サウンドと機能の高度なバランスを現実のものとした、カラザース・ギターは違いの分かるギタリストによっていとも簡単にその真価を発揮してくれる事でしょう。

〜カラザース・ギターのトーン〜
 それは、鮮やかなプレゼンスとカミソリの刃のように鈍いエッジのハイレンジ、ゆとりのパワーと明解さで分厚く張り出すミッドレンジ・パンチとアタックに裏打ちされた豊かなべースレンジ。その表現力はプレイヤーのインスビレーションを確実に引き止します。伝統のクラフツマンシップと先進のテクノロジーが高度に融合したカラザース・ギターは、比類のないサウンドとパフォーマンスを提供します。それはリッチなジャズトーンからダーティーなディストーションまで、感性の赴くまま自由自在に操る事ができます。カラザース・ギターのべーシックサウンドは艶やかさと滑らかさ、そして豊かさと優雅さの体現にあります。この絶妙なバランス感覚はあたかも白いカンバスの持ち味であり、どんな色にでも簡単に染め上げる事ができるのです。




ジョン・カラザースとはどんな人物?


 “ジョン・カラザース”この名前を知っている人は恐らくほとんどいないでしょう。なぜならば過去20年以上にもわたるその活動において、彼はただひたすらシーンの裏方に徹し、自らがスポットライトを浴びる事を望まなかったからです。その舞台裏で“ジョン・カラザース”は常に数多くのセッションプレイヤー、優れたアーティスト、そして時代をリードするメーカー達の依頼を受けてきました。それは彼らの楽器が抱えている問題を解決する事であり、そしてまたカスタムのギターとベースの設計と製作を行う事でした。

 しかしその間、話題の主人公は常にミュージシャン、そしてメーカーであり、ジョンの名前が表に出て来る事はありませんでした。それはジョンのポリシーによって、一切のモニターやエンドースメントの契約を排除してきた事によりますが、その一貫した姿勢はこれからも変わる事はないでしょう。しかし長年にわたる彼らの愛顧はジョンに対しての信頼の証しであり、また他の何物にも代えがたい究極の賛辞とも言えるのです。

 ジョンは当初、彼のホームタウンである、カナダのアルパーク州エドモントでギターを教えるかたわら、色々なバンドでプレイしていました。しかし周囲にリペアをしてくれる人がいなかったため、自分自身でやるようになり、そしてまた他のプレイヤーのためにも調整を行うようになりました。まもなく彼は地元で腕の良いリペアマンとして知られるようになり、そして楽器店で働くようになったです。
これらの時期を通じて彼は木工製品における加工の知識、とりわけその様々な 工具と機械に関して深い理解と技術を育みました。その後、ジョンはリペアに対してますますその探求心を膨らませるに至り、同時に完璧主義者の視点によって斬新で独創的な処理方法の確立に挑む決心を固めました。

 そして1960年代の終わりに、ジョン・カラザースはロックミュージックの本拠地であるLAへと旅立ったのです。ジョンはカリフォルニアに到着するやいなや、LAの楽器店で再びリペアマンとして働き始めました。そこでジョンは世界的にも有名ミュージシャン、そして超売れっ子ギターリストの何人かと知り合うチャンスに恵まれたのです。そしてジョンの評判はクチコミによってまたたく間に広まって行きました。なぜならば、彼らの受け取った作品はそれまでの常識を覆す程に素晴らしい出来栄えだったからに他なりません。

 では、ジョンの仕事で何が違っていたかというと、それまでのリペアがノミなどの原始的な手工具だけで行われていたのに対し、彼は自ら開発した高度に洗練された機機工具を用い、伝統的な技と先進のテクニックを見事に融合させる事に成功したからです。ジョンはこの方法によってゆるぎのない地位を確立しましたが、今やこれはス タンダードな手法として広く普及するに至っています。そして1977年、ジョンはいよいよその真髄発揮へと向かって行きました。

 最初の会社と言える“カラザース・ギター・リペア”は、ウエスト・ロサンジェルスにある小さなガレージで設立されました。ジョンの評判は、そのハイクオリティーな仕上がりと革新約な内容との両方によって、ますます広まり続けて行きました。そしてその後に続く時期において、ジョンはギター・プレイヤー・マガジンのために、現在でも語り継がれている彼のリペアコラムを10年の長きにわたって書き続けました。

 間もなくその名声はミュージシャンばかりではなく、有名なギターメーカーからも一躍注目されるに至りました。そしてその卓越した専門技術と知識を要請される事となったのです。その後、彼はフェンダー、ヤマハ、CF・マーチン、そしてアイバニーズ等の製品の開発とデザイン、製造工程におけるトラブル解決のコンサルタントとして、その力を遺憾なく発揮する事となりました。ジョンはフェンダーにおいて“ヴィンテージ・リィッシュー”シリーズを初め、ロベン・フォード・モデル、そして現在のアコースティック・ギターなどの多くを手掛け、大いに貢献しました。

しかし最も注目すべきは、ジョンの設計と開発による“ネック・デュブリケート・マシーン”がフェンダーの秘密兵器として活躍している事があげられるでしょう。このマシーンはコンピューター・システムによって、「元となるネックのシェイブを寸分違わずにそっくりそのままコピーできる」という画期的な機械ですが、これと同じものは現在フェンダーのカスタムショップ、そしてカラザース・ギターにしかありません。

そして、ジョンはアイバニーズにおいても、その“アーティスト”シリーズ、“ジョー・パス”モデル、“リー・リトナー”モデル、等、数多くのギターの開発と製作に貢献しました。
また、ヤマハの依頼によりそのアメリカと日本の両方において、ギターの生産ラインにおける種々の問題を解決する、コンサルタント業務を行っていた事もあります。
また、今やギターとべースのピックアップではスタンタードの位置を確立した感のあるEMGに関しても、ジョンはその開発過程の至るところにおいてアドバイスを行い、現在の発展に大いに寄与してきました。そして現在、ジョンは引き続き多くのメーカーのために、より専門化した開発プロジェクトに取り組み続けています。

 以上の“ジョン・カラザース”に関する経歴は、今の、そしてこれからの“カラザース・ギター”の歴史においてはあまり意味の無いものかもしれません。しかし、カラザース・ギターの優秀性はあくまでも現在の“エレクトリック・スタンドアップ・ベース”、“ファイブ・ストリングス・ベース”、そして“アコースティック・エレクトリック・ギター”、また同様に究極のクオリティーを持つと自負する“エレクトリック・ギター”といった先進の商品群によって今証明されるのです。
ジョン・カラザースは20年以上にも及ぶギターのリペア、そしてその製作と研究を通じて決して観賞用のギターではなく実戦において真に使えるギターの提供をここに宣言いたします。


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